「港が見える丘」の歌碑建立秘話

  • 2017.11.20 Monday
  • 17:43

 作詞家の石坂まさを氏に初めてお目にかかったのは1718年前のことである。紹介者は出版社ゴマブックスの今は亡き羽山茂樹社長であったと記憶している。あるいは羽山社長を紹介したかつての部下のMであったかもしれない。

 株式公開を目指していたゴマブックスには友人として出資もしていたが、羽山社長は平成171月に58才の若さで突然この世を去った。しばらく連絡が無いと思っていたら、突然、訪ねて来て「会社には内緒にしているが、俺ガンなんだ」と告げられた時には無性に涙が出て止まらなかった。同学年であった。

 ところで石坂まさを氏と言えば、藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」で知られる作詞家である。

 何度か、世田谷区三軒茶屋のマンションをお訪ねしたが、ある時、戦後の歌謡界でヒットしたしたのは「りんごの歌」であると国民は勘違いしているが、レコードが一番売れたのは、昭和22年に新人歌手の平野愛子が歌った東辰三作詞・作曲の「港が見える丘」であり、横浜の「港の見える丘公園」に歌碑を建立したいので、その手はずを整えて欲しい、と依頼された。建設資金は石坂氏が調達するとのことであった。

 ずいぶん見込まれたものだと困惑したが、当時、創刊したての『池袋15’(じゅうごふん)』で「タバコふかして」という連載エッセイを寄稿していただいている義理もあり、仕事の合間に奔走して、なんとか半年ほどかかって歌碑を建立することができた。

 苦労したのは公園を管理運営しているのは横浜市だが、土地の所有者は国ということもあり、国の役人と横浜市の役人の両者に交渉をしなければならなかったことだった。

 ちなみに歌碑の文字は作詞者東氏の子息で、石坂氏とは同じ作詞同人誌『新歌謡界』出身の作詞家山上路夫氏に貴重な原文をご提供いただいた。

 今も、公園の片隅にその歌碑は建っている。

 石坂氏は平成253月に71才で亡くなり、823日には「石坂まさをを偲ぶ会」が都内某所で催されたが、前日に藤圭子が高層マンションから飛び降り自殺したのには、因縁めいたものを感じるのである。

写真はウィキペディアより「港の見える丘公園」


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