国歌「君が代」作曲誕生秘話

  • 2017.12.18 Monday
  • 18:14
 国歌「君が代」の最初のバージョンを作曲したのが、1868年(明治元年)から10年間、日本に滞在した英軍楽隊長ジョン・ウィリアム・フェントンであることを124日付の日本経済新聞の今村朗会計検査院審議官の寄稿で初めて知った。

国歌は近代西洋において生まれ、日本が開国した幕末の時点において外交儀礼上欠かせないのとなっていた。つまり国歌の必要性はまず何よりも外交儀礼の場において軍楽隊が演奏するために生じたのである。

今村氏によれば、フェントンは70年(明治3年)に薩摩藩から「君が代」を短期間で作曲するよう頼まれ、最初のバージョンを作曲したが、フェントン作曲の「君が代」は、西洋音階のメロディーと日本語の歌詞が合わないとされ、80年(明治13年)に雅楽の音階による現行曲に改められた。

以後、国歌として歌われ、1999年(平成11年)に「国歌及び国歌に関する法律」で正式に日本の国歌として法制化され、今日に至っている。

英国では少数派のスコットランド人の軍人を父に持つフェントンは英国の王立陸軍音楽学校で学び、日本で初めて西洋音楽の理論を、楽譜の書き方から作曲法まで体系的に教えた人で、日本の海軍軍楽隊で吹奏楽を教えていた。現行の「君が代」の作曲者として名前のある雅楽の演奏家の奥好義という人もフェントンに洋楽を学んだ一人であるという。

通説では、これまで現行曲の改訂にフェントンは全く関わっていないとされていたが、今村氏の研究で改訂にフェントンが主体的に関わった可能性があることが分かったという。つまり、フェントンが成し遂げられなかった改訂を教え子が完成させたわけで、「君が代」の作曲者はフェントンといっても言い過ぎではないだろう。

国歌の成立を例にとっても、近代国家日本の成立過程で、日本がいかに多くのことを西洋から吸収しようとしていたかが良く分かる。

ちなみに、「君が代」の歌詞は10世紀はじめに醍醐天皇の勅命により国家の事業として編纂された「古今和歌集」の中の祝いに際して詠まれた22首の短歌の一つで、作者は文徳天皇の第一皇子惟喬親王に仕えていた木地師で当時は位が低かったため詠み人知らずとして扱われていた人物である。

 

写真はウィキペディアより「君が代」の楽譜


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