母校の京都府立須知(しゅうち)高等学校の前身となる京都府農牧学校が、
「Boys, be ambitious!」の名言で知られる米国人クラーク博士が教鞭をとった札幌農学校と同年の明治9年(1876年)に開設されて今年で140年になる。
開校時、指導に当ったのは米国人ジェームス・オースチン・ウイドーである。しかし、わずか3年で職を辞すこととなる。職を辞すというより、丹波という京都府中部の都を遠く離れたいなかに学校を設立したことで腸詰など食肉を加工することを忌み嫌った地元の人々が排斥したというのが真相であろう。明治期、本来なら鉄道が敷設されるべき盆地にありながら、地元の反対で鉄道が通ることもなく、今日も、JR西日本の山陰本線の丹波方面は由良川の絶壁にしがみつくように走っている。元来、保守的な風土なのだ。
ところで、同志社大学の創設者である新島襄はクラーク博士が教鞭をとっていたアマースト大学の日本人学生第一号ということを京都府立洛東高校の西村昌能氏の研究で初めて知った。クラーク博士の日本招聘にも新島が一役買い、ジェームス・ウイドーの後任をクラーク博士に依頼もしていたようだ。
写真は京都府農牧学校は京都府中部の丹波町(現・京丹波町)のいなかに設立された
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