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    没後に名声を高めた孤高の日本画家 田中一村について

    • 2017.11.30 Thursday
    • 19:12

     クラシック音楽と同様にピカソやかつて新宿の安田美術館でゴッホの「ひまわり」の絵を見ても特別の感動を覚えた訳でもないし、絵画に深い知識や関心はないが、10数年前に偶然NHKの「日曜美術館」という番組で田中一村の絵を見た時は少なからず興味を持った。絵画に興味を覚えたのは、高校の「倫理社会」の教科書か何かでムンクの「叫び」という題の絵を見た以来のように思われる。

     田中一村は1908年、栃木県に生まれ、1926年、東京美術学校(現東京美術大学)日本画科に入学したが、同年6月に中退。同期には後に日本画壇を代表する画家となる東山魁夷や橋本明治らがいた。

     中退後は南画を描いて一家の生計を立てるが、その後南画と決別。千葉に移住して数回の日展や院展に出品するもいづれも落選し、53才の1958年に中央画壇への絶望を深め、奄美大島に渡った。奄美大島では大島紬の染色工として細々と生計を立てながら生涯絵を描き続けたが、1977年、無名に近い存在のまま69才でこの世を去った。

     没後に地元新聞やNHKの番組で紹介され、その魅力あふれる南国の自然を題材とした西洋画を思わせる独特の画風が注目を集めることとなる。まさに孤高の画家なのである。

    偶然、その番組を見たのであった。

     放送当時、たまたま奄美大島の笠利町農協から特産品のグアバ茶についての広告依頼があり、奄美大島を訪問する機会がたびたびあったので、田中一村というより、奄美大島のナレーションに気付いて番組を見たのである。

     2001年には笠利町の「奄美パーク」の一角に「田中一村記念美術館」がオープンし、現在、確認されている作品約600点のうち、寄託品も含めて450点を収蔵しているという。出張を利用して何度か訪れた。

     東京・池袋の事務所には東京巡回展のおりに購入した田中一村の絵の複製を数枚飾っている。

     

    写真は東京・池袋の事務所にある田中一村の絵の複製

     


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